イタリア半島の中北東部にある、イタリアよりも歴史の長い世界最古の共和国「サンマリノ共和国」に、日本の神社が建立されました。6月22日、神社の鎮座奉祝祭に参列してまいりました。
真新しい神社の横に立つ木製の碑には「私のためではなく、貴方のためではなく、私たちのために」と刻まれています。

サンマリノ共和国内で女子力の高い女性を見つけ「Girl Power Promotion」手ぬぐいを掲げていただきました。「女子力を上げて世界を変えましょう」と呼びかけると、皆さま笑顔で共感してくださいました。嬉しい!!!

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今回の旅行をご一緒させていただいた内閣総理大臣のお母様、安倍洋子さまも。
GPSM安倍洋子
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Serenissima Repubblica di San Marino(セレニッスィマ・レプッブリカ・ディ・サン・マリーノ)。通称:San Marino(サン・マリーノ)。「Serenissima」とは「最も清らかな」の意。
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以下は、サンマリノにご一緒した新聞記者 小野秀夫さまがお書きになられた、日本で最初の記事です。

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イタリア半島にある世界で五番目に面積が小さいサンマリノ共和国に、ヨーロッパで初めての本格的な神社が建立され、6月22日、現地で記念式典が行われた。
この「サンマリノ神社」は、世界最古の共和国として1700年以上の歴史を持つ同国と、世界最古の君主国である日本両国の友好のシンボルとして、さらに東日本大震災の犠牲者の慰霊を目的として設立が構想されたもの。同国の駐日大使を長らく務めるカデロ氏と、日本サンマリノ友好協会会長の加瀬英明氏(外交評論家)が中心となって、建立への道を切り開いてきた。同国で発行した両国友好記念コインが建設資金の原資になったという。
サンマリノ神社が建てられたのは、ライエラ国立公園近くにある広大な丘の一角。社務所というより体育館くらいの広いゲストハウスから、ぶどう畑やオリーブの樹々に囲まれた緩やかな斜面を昇って行くと、鳥居が現れ、「サンマリノ神社」と日本語で縦書きの名が記されている。更に進むと、手と口を漱ぐための水が注ぎ込む瓶に柄杓が三つ置いてあり、日本の神社さながらだ。左右に石燈籠が建ち、その奥に木造の社殿がまっさらな姿を見せている。
この日のセレモニーに参集したのは、両国の関係者ら約100人。夏至の太陽がじりじり照りつける中、午前10時30分からの式典を見守った。
ソプラノ歌手・新藤昌子さんによる「君が代」独唱はアカペラでゆったりと。続いてサンマリノ国歌が流され、厳かな雰囲気に。
鎮座奉祝祭の儀は、東京大神宮・権宮司の松山幾一氏が斎主を担当する、正式な手順を踏んだもの。供物である五種の神饌や玉串も日本から運んだ本式なもの。直会として全員に振る舞われたのも、日本の純米吟醸酒だ。
読み上げられた祝詞や、挨拶に立った加瀬氏、来賓の安倍洋子氏(総理のお母様)、神社の土地を提供したステファノ・ヴァレンティーニ氏ほか全員に共通していたのは、この神社が宗教の枠を超越し、日本の「和のこころ」を世界に広げ、争いのない地球にして行くための存在だという認識だ。
発案者のカデロ駐日大使自身、敬虔なカトリック信徒であることは、象徴的だ。
奉納舞の月妃女神楽さんは、清楚な和服姿で岩戸開きを表現。居合演舞の大崎カデロ絵里さん(大使夫人)は、凛々しく日本武道の粋を示し、ともに歴史的な節目を彩った。
セレモニー終了後は、ゲストハウスに移っての懇親会。新たに誕生した平和のシンボルを祝う気持ちの通い合う、和やかな交流の場となった。
サンマリノ神社は、地元のホテルオーナーであるフランチェスコ・ブリガンテさんが「宮司」として管理を担う。ブリガンテさんは来日して出羽三山で修行をし、この日に備えたという。
今後、宗教を超越した存在として、どのような役割を果たして行くのか、ヨーロッパ諸国に広がるのか、サンマリノ神社に課せられた使命は大きなものがありそうだ。
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成田空港からベネツィア・マルコ・ポーロ空港まで14時間。そこから貸切りバス約4時間の道程で、サンマリノ共和国へ入ります。

イタリア半島の中北東部にある、イタリアよりも歴史の長い世界最古の共和国であり建国から1712年の歴史を誇る、世界で5番目に小さな国です。面積61.2K㎡、人口約32000人。首都サンマリノ市等の一部が、2008年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている美しい街。通貨はユーロ。

ヨーロッパ初の神社がサンマリノに建立されると伝え聞いたのが昨年で、6月22日の建立式典に出席するための渡聖(聖馬連奴=サンマリノです。日本では歴史の浅い仏教が欧米に知られることはあっても、神道への理解はまだ少ないものです。

宿泊したグランドホテル・プリマヴェーラは、白亜の3階建て各窓に花が飾られた瀟洒な作りで、華美ではなく清潔で気持ちのよい空間です。24時近くに到着し、1杯だけ飲んで眠りましょうとバーへ行くと、この度の「サンマリノ神社建立式典」中心人物である、日本サンマリノ友好協会会長加瀬英明氏と、サンマリノ神社の宮司フランチェスコ・ブリガンテ氏らがロビーにいらして、「テラスでシャンパンを飲みましょう」とお誘いいただき、スコッチ1杯のつもりがシャンパン2本も空けてしまいーーーそんな始まりでしたサンマリノの旅。

オリーブ、ワイン用のブドウ畑に池をいただくほとりに立つ、慎ましやかに荘厳な社殿は、日本の神社本庁から指導を受け宮大工が建てたとのことです。建立式典は、東京のお伊勢様と呼ばれる「東京大神宮」の権宮司松山幾一氏が執り行い、氏子が手伝います。神社の横に立つ木製の碑には、「私のためではなく、貴方のためではなく、私たちのために」と刻まれおり、八百万の神々の教えがイタリアに伝わる文言です。

式典のはじめにサンマリノ国家が演奏され、君が代斉唱も、雲ひとつなく晴れた空に響きわたります。テントの下にいても暑いほどの気温の中、穏やかに静かに鎮座奉祝祭が続きます。現地の方々だけでなく、日本から約100名が参拝しました。

加瀬英明会長、内閣総理大臣のお母様 安倍洋子様、在イタリア日本大使館公使福島秀夫氏、神社に土地を提供したステファノ・ヴァレンティーニ氏らの挨拶に続いて、奉納舞(月妃女神楽)、居合演舞、歌の披露があり、閉式。

ご参加者の皆様を代表し数名で玉串を捧げる名誉に私もあずからせていただきました。榊は、東京大神宮氏子様が日本から運ばれたものを賜りました。

「日本サンマリノ友好協会」晩餐会はホテル前にある芝生の庭で開かれました。雨の少ない気候、夜9時でもまだ明るいサンマリノでは、生演奏の音楽も響きわたるガーデンパーティーが似合う。方々で「サルーテ!(乾杯)」「チンチン(乾杯)」と声が上がり、23時にお開きとなった後も、演奏と歌声が続き、午前2時までシャンパンを飲んだという強者方もいらっしゃいました。

観光は、宿泊ホテルから車で30分以上登ったティターノ山にある旧市街。アドリア海をはじめ360度見下ろすことができ、晴れた日にはクロアチアの海岸線まで見えます。

ティターノ山頂には要塞として建てられた3つの塔があります。12世紀に建てられた第一の塔グアイタ、13世紀には第二の塔チェスタと第三の塔モンターレが立てられ、戦火の中要塞として機能しただけでなく、時代の移り変わりとともに、衛兵の本部となったり刑務所として使用された時代もあったとのことです。現在塔の一部は武器の博物館となっています。

旧市街の頂点に立つ3つ塔の背後は断崖絶壁です。そびえ立つ三塔を地上から眺めると天空の城と称するのが適切でしょうか、いえ、サンマリノ旧市街すべてが「天空の城」です。

国立博物館内には、伝説の聖マリノにまつわる発掘品や宗教画が展示されていますが、なかには、サンマリノを危機から救った一人の女性を描いた絵画は、実際に乳房を切られたわけではなく、彼女が犠牲となって民人が救われたことを象徴的に描いた絵画というもの。博物館は、近代兵器博物館、移民博物館、歴史博物館、拷問博物館まであり、すべてを訪ねることができなかったのはちょっと残念でした。(もしサンマリノを訪れる方がいらっしゃいましたら、ミラノやベネツィア観光など入れず、サンマリノ旧市街だけを丸2日間観光なさることをお勧めしますーー2日間歩くうちに、現地の人たちと友だちになれそうです)
博物館

石畳の坂道に間口の小さな店が並んでいるのは、トルコのバザールと似ていますが、お店の彼女たちは、口を揃えて「日本は素敵な国だ、憧れる」「いつか日本へ行って、日本の古いお城や桜の花を見たい」とおっしゃいます。

街路樹に松の木が目立ちます。風土的にも日本と親和性が高いのかもしれません。

ホテルに戻ってバスから降り、皆で空を見上げたとき「あの雲の上に立っているのは聖人ではないのか?」と誰かが声をあげ、私たちはもう嬉しくなってしまい、「守られているよね」「受け入れていただけたんだよね」と語り合います。
それから30分後には雲の上に3つの塔が立ちました。現地ガイドによるとそんな変わったかたちの雲はふだんは見られないとのことです。